佐々木小次郎豊前添田説1

時は慶長年間。細川藩小倉時代に、 小次郎が「剣術師範」として重用されていた?!
剣豪・佐々木小次郎といえば、歴史ファンや“レキジョ”ならずとも、老若男女にあまねく知られた存在。 宮本武蔵との巌流島の決闘(1612年)は特に有名で、映画やテレビの時代劇にもしばしば登場しています。 「越前出身だ」「いや長州岩国だ」と、諸説飛び交う小次郎の出身地論争に大きな一石を投じたのも、 実はこうしたテレビドラマの1本。平成15年のNHK大河ドラマ「宮本武蔵」において、 佐々木小次郎豊前添田出身説が放映されたのです。 このドラマに大きな衝撃を受けたのが、添田町文化財専門委員長を務める梶谷敏明さん。 「長年、添田町の郷土史を勉強してきた私にとっても、この説は驚くべき発見でした。 放映後、私は各地の史料にあたり、小次郎が細川藩小倉時代に剣術師範として重用されていたことをはじめ、 豊前・豊後・筑前で活躍していたという多くの記述を発見。“小次郎は添田出身である”と 自信をもって主張できるようになりました」。 梶谷さんはこうした検証結果を「彦山・岩石城と佐々木小次郎」と題した書籍にまとめ、 講演活動も精力的に行っています。 さて、小次郎添田出身を匂わせる膨大な史料の中でも、梶谷さんが特に注目したのが「沼田家記」。 細川藩家老で門司城代であった沼田延元が残した記録を、子孫が寛文12年(1672年)にまとめたものです。 そこには、あの巌流島の決闘にまつわる驚くべき記述がありました。(つづく
添田×小次郎